Kikitsu Home’s History 長崎で地域密着型の工務店が誕生するまでvol.01
トピックス項目
喜々津ホームの歴史について
去年のことですが、約30センチ以上髪をバッサリ切った私に、
スタッフ唯一…何も触れなかった社長。
(いえ、きっと気を遣われて、「触れられなかった」が正解です。それとも気付かなかったのかな(。´・ω・)? )
スタッフへの気遣いも忘れない
社長◆溝上学が率いる、喜々津ホームの歴史をご紹介です。
歴史から、会社や社長がどんな考えで家づくりをしているのか、どんなことを大事にしているのかを、社長へのインタビューでお伝えします。
喜々津ホーム&社長の歴史と一緒に、秘蔵写真も公開です☆彡
はじまりは
はじまりは、今から50年以上も前に遡ります。
◆1961年
社長の父、溝上 豊が大工を始める
◆1975年
溝上 豊「溝上建築」創業
◆1983年
社長の母、溝上 貞子が「喜々津ガラスアルミセンター」創業
◆1990年
「溝上建築」と「喜々津ガラスアルミセンター」が合併し、「有限会社喜々津ガラスアルミセンター」として法人化。
代表取締役:溝上 豊
この頃の、まなぶ少年は?
大工の棟梁の家に生まれ、いつも近くに職人さんたちがいるような感じでした。
作業場には材木が並んでいたり、かんなくずが落ちていたり。
夏には、そのかんなくずに寄ってくるカブトムシを捕まえて遊んでいました。
現場では、職人さんたちに遊んでもらって楽しかった記憶が。
そして、モノをつくるということが好きで、図工や美術が得意でした♪
モノづくりとかデザインなどに関わることをしたいと考え、長崎工業のインテリア科へ。
より深く、建築とインテリアを学ぶために高校卒業後は、福岡の九州デザイナー学院へ。
その後の、まなぶ青年は?
福岡での暮らしを楽しんでいたが、喜々津ガラスを手伝っていた兄が、父の後を継げとやって来たんです。
そして、長崎に戻って頑張ることにしました。
20歳で建築の仕事をするようになって、大工職人としての修行に励みました。
この頃はまだ、材木を手刻みで加工していたので、大きな梁など担がないといけなかったんですが…
なかなかできなくて。
年配の職人さんは要領が良いので、簡単に担げるんですけど。
あとは、朝から晩までかんなの刃を研いだり。
棟上げの時も、最初は高いところが怖かったです。
こんなに大変な仕事だったんだと思い、今でも当時の経験が生かされています。
歴史を全て綴る予定でしたが。。。
今日はこの辺で終わります。m(_ _)m
次回は、喜々津ホームの設立など。
喜々津ホームの家づくりに対する思いが、カタチになっていきます。
また、秘蔵写真アップしたいと思います♪